「心の迷いは、総てに影響するので、早めの処置が必要なんだ。」今は亡き、虚堂映明 方丈さんの言葉を思い出す。
方丈さんは、埼玉県飯能市の曹洞宗 能仁寺の和尚さま。元は報知新聞のスポーツの記者で、当時 プロ野球選手 巨人軍の王さん・長島さんが精神修行の座禅を組みに来た。二大本山の永平寺・總持寺に勝るとも劣らぬ、飯能市の天覧山の斜面を利用した美しいお庭が有名な大きなお寺。
当時、三男を事故で亡くし、私は生きる事に疲れを感じ毎日・毎日、根無し草のように浮き草の様に、世間を浮遊し、酒に溺れ、仕事を投げ出し、ボーっとフワフワとしていた。死ぬ程勇気は無く、かといって正気を失い・・・・・幽体離脱した様な自分を自分自身、認識もせずにいた。友人の勧めで能仁寺に辿り着いた時は、ボロ雑巾化して酒臭く、座禅も満足に組めず、本堂の片隅に気絶して嘔吐して泣いていた。3年もの月日、人間を辞めていた。ようやく足が組める様になると、その頃から「死」につき考え、「生きるとは?」と、考え、さらに「仏教」について考え出した。元々、「鬼の研究」を馬場あきこ先生と共に情報交換をしながら進め、弘法大師空海さまと鬼の関わりを紐解き、私の実家の近くにある、真言宗のお寺「明星寺」のご本尊が私の守り本尊 虚空蔵菩薩で、空海さんを調べていた事もあり、大学の卒業論文に「弘法大師 空海」の研究を上げていた私は、仏教にご縁があった。
アル中の私の精神修行になった座禅は、私に考える時間と身体の浄化を与えてもらえ、仏教こそ私の受け入れる世界と考え、曹洞宗の門を叩き、入道した私は、お世話になった方丈さんより、「嶽堂」と、名を預かる事になった。
実際の得度は、方丈さんのご理解を頂き、どうしても空海さんの弟子になりたく、和歌山県の高野山の門を飛び込みで叩き、受戒灌頂を「普賢院」で行い、金剛薩埵(理想的な修行僧)となり修行をし現在に至る。
曹洞宗で入道し座禅から仏教に入り、高野山真言宗で修行する。異質な坊さんです。

方丈さんは、「号(雅号)はお前を表し生き方を決める大切な「命の名前」なんだ。」と諭され、ご自分の号より一字私に「堂」を分けられました。嶽堂と言う号の実は「堂」こそが大きな意味の深い文字で、嶽は私の現世名「岳夫」の岳を高僧が使う「嶽」とし、「嶽堂」を私に号てして預けて下さいました。世界に2つと無い私の号です。私はこの号の宿命をもっと重んじないといけない。最近になりそれを凄く感じました。

今さらですが、多くの方々にご迷惑がおよぶとも、すべてを改めさせて頂き、「大器晩成」人生ここから!って節目に、修行時代の私と師匠の写真をアップさせて頂きます。

身が引き締まる思いと、ここまでの生き方の反省をいたしまして人間改革を致します。

「嶽堂」として生きて参ります。

激しい嵐の通り過ぎた後の山岳は深い霧に覆われて静まり返り、雲の切れ目から太陽の光が木漏れ日となり落ちる。
山は、静と動を同時に持ち合わせている。そんな山に暮らす野生の生き物たちと共に、大きな空間より出来た宇宙の広がりこそが「嶽堂」の号の意味。

写真家として、生き物とその空間を捉える。私の生き様は、総てここに至る様に導かれ、質然となった。

だから・・・・・
法律を学んだ。
自衛隊の頃、遊撃隊員だったんだ。
山を愛し登っていたんだ。
新聞記者で文屋だったんだ。
優秀な営業マンだった。
小学生の頃、父よりカメラを与えられた。
生い立ち総てがうなずける。

息子が亡くなり、総てが嫌になり、一回リセットされ、生まれ出た人生は、2度目の人生。そして写真家として生い立ちが総て武器になり「天職」とし、大成した大器晩成の3度目の人生の区切りに号「嶽堂」で生きると決めた。

「自分の号の深さに名前負けしない生き方が出来る様に努力せい!」と、亡き方丈さんが、警策で喝を入れ姿を思い浮かべる。

嶽堂として生きる。