久しぶりに更新致します。

私のルーツを調べてました。

私の祖母の出は山梨県甲府市。。旧姓は「薬袋」という。

「薬袋」 何と読みますか?「やくたい」「くすりぶくろ」
  
「みない」と読みます。
  
約400年前、甲斐(山梨県)の武田信玄が領内の見まわりに出かけた折、
腰にさげていた薬籠(やくろう=携帯用の薬入れ)を落とした。
あわてた信玄は家来たちに探させたがどうしても見つからない。
大切にしていた薬籠だけに信玄は「薬籠を拾って届けた者にはほうびをとらす」
と領内に高札をだした。
数日後「この薬籠では・・・」と領内の農夫が薬籠を届け出た。
間違いなく落としたものだった。信玄は「よくぞ届けてくれた。
ところでこの薬籠の中を見なかったか」と問いただした。農夫は
「こんな立派な薬入れを見るのもおそれ多いことです。まして中をみることなぞ・・・」
正直者だ権兵衛「そうか、お前は正直者だ。名を何と申すか」「はい、権兵衛と申します」
「薬籠を拾ってくれた礼に家臣にしてやろう。
しかし、姓がないのでは困る。薬籠を見なかったのだから”みない権兵衛”にしよう。
みないとは薬袋とかくのだ」といって農夫を武士にとりたてた。
武士になた薬袋権兵衛は南巨摩群の旧 豊富村(現在の山梨県中央市浅利 辺り)に領地を
与えられ武田家のために尽くした。
  
その後、武田家は滅び、徳川家康は有能な武田氏の遺臣を登用した。
薬袋権兵衛も家康の目にとまり昭島付近を治めるように命じられ、一族郎党とともに昭島に移った。

現在はインターネットで調べたところ、「薬袋」と名乗っている家は、
全国で338件、山梨県に161件、東京に81件そして神奈川県に41件の順になり、
山梨では中央市の旧豊富村に、東京では昭島市に集中していることがわかりました。


信玄公と八ヶ岳の関わりは・・・・・・・

信玄公は八ヶ岳を霊山と崇めた。
有名な「風林火山」も、八ヶ岳の「高原を渡る風」「もののけの棲む林」「硫黄岳の火山」そして
「八ヶ岳」全域の広大な大きさより生まれた。

「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」

疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、
侵掠(しんりゃく)すること火の如く、動かざること山の如し)


また、棒道(ぼうみち)は、武田晴信(信玄)が開発したとされている軍用道路。
八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境(甲斐国(山梨県)と信濃国(長野県)の境)を通る。
甲斐国北西部の逸見筋(現在の北杜市域)にあたる山梨県北杜市(旧北巨摩郡小淵沢町、長坂町)
や長野県富士見町には現在でも上の棒道、中の棒道、下の棒道の三筋が残されており、それぞれ市
・町指定の史跡となっている。地元では信玄棒道と呼ばれており、「棒道」の由来は、荒野にまっ
すぐ一本の棒のように存在していたので棒道と呼ばれるようになったとされる。
別名は大門嶺口(だいもんどうげぐち)。
この棒道を作るに大きな働きを見せたのが、元お百姓さんの「薬袋権兵衛」でした。

わが先祖が、八ヶ岳を愛し、崇め、丁寧に今に伝わる痕跡を記したことを知り
八ヶ岳の自然を愛し守ると更に、心に刻む私です。
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