先日もこの話題にふれましたが、再度、取材時に質問を受けたので再度更新する形でアップします。

私は、20年程前に事故で2歳になったばかりの三男を亡くしました。
そして絶望を感じ、一度は生きる事に投げやりなり、酒に溺れ身体を壊し、アルコール中毒になり、まるでボロ雑巾の様に、毎日をフワフワと根無し草の様に世の中を浮遊してました。ある日、友人より勧められて、健全な肉体を取り戻すのと、心の迷いを取り払う為に禅宗のお寺で座禅の修行を 受けてました。埼玉県飯能市の「能仁寺」と言う、曹洞宗のお寺です。


座禅の境地「悟る」。

一言で言うが、この境地にはなかなか
 到達しない。座禅の「静の激しさ」がなんぞや?  と、言う意味が判ると、これに近いらしい・・・・・。 要は体力・気力を限界に追い込み、いま風に言う「トランス」状態になると見える境地なんだと私は思う。私も「悟り」には到達し てない・・・・・してないと思う。しないと思う。  

ある日、私が座禅を組んでいると、本堂の裏の方から「ブッホウソウ・ブッポウソウ」 と、鳴く鳥がいました。コノハズクと言う、フクロウです。「仏・法・僧」 座禅にはピッタリだな・・・・なんて考えていたら、雑念を読まれ、警策(きょうさく) が、ビシッ!っと方丈さまから飛んで来ました(笑)。 座禅後この鳥の名を聞くと、方丈様も参加者も誰もそんな声は聞いてない。しかも 参加者からは、「雑念」と笑われました。 
しかし、そこで和尚は、「亡くなられたお子さんの声では?」と 諭されました。私はそのフクロウが見てみたくて・・・・・森を彷徨い 声のするほうに向かい、何度もチャレンジして2年越しで、この コノハズクを見ることが出来ました。 
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多分、「私の子供が私を励ます為」に、私にだけ聞こえたあの声


  フクロウとの出会いでした。 

お大師様(弘法大師空海さま)もこのコノハズクと出会っております。 
 空海さまはその声を聴き、『性霊集』において漢詩で次の様な詩を詠まれているのです。



「後夜に仏法僧の鳥を聞く 閑林に独り座す草堂の暁  
三宝の声一鳥に聞こゆ 一鳥声有り 人心有り 声心 
雲水倶に了了───空海」 


(現代語訳) 
空海が独り座して夜を徹して勤行する山中の夜明け、 仏法僧の声に心は澄みわたる。鳥声と人心、雲と水(大自然)は  一体となり、一点の曇りもなく心眼に映る。


なんと、お大師様も私と同じ様な、体験をしていたのです。ご縁がありました。 

私の学んだ「密教」は、天と地の気の動きを感じとり、 動植物との会話をし、修験僧は自然界と調和する技を修行により 身に付け、「心眼」を開くのです。

何故、禅修行をした私が密教の僧侶なのか?は、又の機会にお話しするとします。


話がずれました・・・・・・・

ブッポウソウの鳴き声を聞いてから、フクロウに会いたくて会いたくて、山で鳴き声を聞いては探してみてた。

2年越しで、やっとの思いで会えたフクロウは、会えた時に亡くなった愛しい三男に会えた気がした。今でもその思いがフクロウに会う度にするのです。特別な気持ちや、嬉しさを感じるです。そして何より、真綿で包まれた様な優しい温かい温もりを感じるのです。

私は自分の生い立ちの陸上自衛隊 第一空挺団 レンジャー部隊の頃の経験と、大自然に溶け込み、大地と大空の気を読み操る仙人の様な密教の勉強をして技を習得し、自然に一番敏感で、もの凄く几帳面な究極の神の僕である「 フクロウ」に息子の温もりを求めて、どんどんと 吸い寄せられて行き、その魅力に魅了されているのです。