野生の動物と触れていると、感じるのは
命の尊さとはかなさ。

親友が死かけた・・・・・・・

白い紙に真ん中に線を引き、右が「死後」左が「生前」とした場合、
線の部分はなんなんだろう・・・・・・この総てを瞬間に変えてしまう
この線はなんなんだ?命のはかなさはもの凄く簡単に場面が変わる
と言うこと。ろうそくの炎のともし火に「フッ!」っと息を吹きかける。
ともし火が白い煙を残しスッっと消える。こんな感じで命ははかなく
消えてしまう。

約20年前、目の前で自分の息子が本当にこんな感じで
私の目の前で息を引き取った。そのとき、色々な状況と時の経過の中
で、私は自分の息子を抱きかかえてあげることも出来ず、それどころか
「良く頑張った・・・・・ありがとう・・・・・もういいよ・・・・・」と心の中で
つぶやいてしまった。一番諦めちゃいけない親の私が・・・・・その瞬間
諦めてしまったんだ。

息子が亡くなって5年ほどして、そのときの記憶が突然よみがえってしまった。
私は・・・・ひどく・・・・ひどく・・・・苦しんで、精神を安定させるために、座禅を
薦められて週一度、日曜日に飯能市の大きなお寺へ通い、少しずつだが
その突然蘇った悪夢のような瞬間に打ち勝てるように、そして記憶の奥に
封じ込んで、考えない様にしていた息子の死について考えるようになった。
そして、たくさん。たくさん。たくさん悔やみ、懺悔し、弱くなっていく魂に
弘法大師空海さまのお言葉の数々をビタミンとして強くくじけない「心」を
養うため、修行を重ね高め、お山に上がり修行し、十年強の今は、社会の
平和、世の中の平和を祈るほどになった。「強い心」を手に入れた。
しかし・・・・・・ストイックな心は治らず、毎日悩んでいるのは変わらない。

「自己管理能力」 「自己責任」 「禁ずる力」・・・・このような言葉は、結果・・
結論から出てくる後から来る言葉。

人は・・・・・生きてる限り、命続く限り、やり直しがいくらでも出来る。本人次第
なんだ。年とか気になる事や、気にかかることなど、たくさんの思いは「雑念」
であって、実はそんなことより立ち上がり、とりあえずは元の位置に戻ること。
「戻ること」ができるなら、それだけで幸せなんだ。
いくら懺悔し反省しても、「命」を亡くしたり、奪ったりしたら「元の位置」には戻れ
ないんだ。

野生動物は、弱肉強食という命のやり取りが、生きるためのリアルな選択。
でも人も同じ。食卓に並ぶ植物以外の食材の総てに「命のやりとり」があっ
たはずなんだ。生きてる物を殺し、食し、生活する・・・・・命ちとは・・・・・
命のやり取りとか、命を絶つとか、命粗末にするとか・・・・・「人」なんだよ。

まずは生きる。わたしはそういいたいのだ。

生きることは大変だけど、大変と思わないで生活できる様に、
「幸せ」を感じる様にできてる。このプログラミングがある限り、人は生きられる
様にできているんだ。「幸せになろう」